さかもと未明の言わずにいられない
<さかもと未明>一流の条件は運でもコネでもなく努力である
月刊ベンチャー・リンク2009年1月号
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書き手になりたいと出版社の扉をたたいた時、編集者に言われた。けれども私は答えた。「書くことができるなら、どんな苦労もいといません。それを後悔するなんて、ありえないと思います」
後悔したことは一度もない。しかし、「書くことがこんなに大変だとは」と驚いているのは事実だ。
若い頃は、「自分の思いを発表して原稿料がいただける、こんなにいい仕事はない」と思っていた。しかし、思いがけず多くの媒体へ書く機会に恵まれるようになってから、その楽しさが消えてきた。自分の文字を真剣に読み、それに反応してくれる確かな読者の存在に私は気づいてしまったからである。
講演などで地方に行くと、私の書いた小さなコラム記事を手帳におさめ、心の支えにしているなどと言われることが何度もあった。書くとは何と責任を伴うことなのだろうと痛感し、書ける原稿の量が急に減っていった。「これからは、どんな小さなコラムでも手を抜いてはならないし、自分だけの視点も織り込まなくてはなるまい。そして、マンガにせよコラムにせよ、もう量産はできないから、生活そのものを縮小しないといい仕事はできない」と思うにいたったのである。そういう経緯で、私はアシスタントを少し整理して業務を少し縮小した。
若い頃は上昇志向も強く、方向転換を図るためにも多く媒体に登場した私だ。量を力に、才能の足りなさをカバーしようとし、自分の作品への自信のなさを、媒体の大きさや格に求めたことも皆無ではなかった。著名人と並べていただく仕事がうれしくて仕方がなかった時もある。そんな方たちのオーラに少しでも触れたかったのである。しかし、一流の人に接することは、かえって私のコンプレックスを助長した。どうすればもっと堂々と彼らに会えるのだろうかと。
かくして、「原稿料や出演料で生活できて幸せ」という時期はあっという間に終わった。しかし、そんな時も強く叱咤してくれる人がいた。
「力不足だからといって弱音を吐くな。君が原稿を載せるその後ろには、何千人もが載らない原稿を今も書いている」
まさにそのとおりなのだ。原稿を書く場を頂戴し続けるため、ひたすら努力をするしかない。そう悟ってから、私の生活は本当に地味になった。お酒をやめ、タバコをやめ、夜更かしも買い物も控えるようになった。かつての私はそういうものに溺おぼれることで、ちょっと破天荒で自由なキャラクターを装いたかったのかもしれない。けれど今はそんな“色づけ”さえ邪魔に感じる。私は、仕事に対して真面目であることに、やっと気後れしなくなったのである。
そんな心境になれた時、天の賜物のように、オリンピック選手や、著名女優、プロ棋士や音楽家などと自然な交友を持てるようになってきた。それら一流の人々は、じかにお会いしてみると、どんなに華やかに見えても信じがたいほどに努力家で、金銭感覚も質素であり、仕事に対して愚直なほどに真面目だ。成功には運もコネも才能も必要だという人がいるが、長きにわたって実績を積み上げている人は、運など色あせるほどの努力を重ねている。彼らに再び気後れせずにお会いしたいと思うなら、どんなに大変だろうが、また明日も受験生のように寝る間も惜しむ努力をするしかない。
成功した人は皆、自然の立ち居振る舞いにも、体の中で燃えたぎる血のかすかな匂いと海のように深い孤独をたたえている。媒体の格や露出も言い訳も経歴も関係ない。一級の努力家たちに燃える血の匂いをかぎ分けてもらえる表現者になりたいと私は思えるようになった。
1988年玉川大学文学部英文科卒。商社OLを経て24歳で漫画家デビュー。レディスコミック誌を中心に活躍するかたわらルポやエッセイも執筆し、売れっ子となる。00年、「文学界」にて『花悩』で作家デビュー。現在、日本テレビ『スッキリ!!』(月~金、午前8時~)のレギュラーコメンテーター。著書に『マンガ ローマ帝国の歴史1~3』(講談社)、『右よりですが、何か?』(ワック)など。
さかもと未明オフィシャルブログ「さかもと未明の和みカフェ?」
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