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<食品製造>たいやき発祥の店「浪花家総本店」

●浪花家総本店(2008年1月24日更新)

東京にはたいやき御三家があるといわれるが、そのひとつが麻布十番の「浪花家総本店」(以下「浪花家」)。浪花家はたいやき発祥の店であり、1975年に大ヒットした「およげ!たいやきくん」のモデルとなった店として有名でもある。平日でも電話予約していかないと、2時間ほど待つことがある。「たいやきをそんなに並んで買うの?」このたいやきを食べるまでは、誰しもそう思う。

「アンコを食べる」のが本来のたいやき

浪花家のたいやきは、ひとつづつ鉄の金型で焼かれる。よく見かける黒い鉄板に、たいやき型がずらりと並んでいるものより、このほうが火の通りがよいのだという。確かに一口食べると、パリッとした焼き上がりが、これまで食べたたいやきとは別物と思える。

浪花家総本店 会長 神戸守一氏。トレードマークのコック帽と蝶ネクタイは、以前に大手ホテルの催事に出店したときからのもの。「ホテルのお客様には蝶ネクタイじゃなきゃ失礼だというなら、うちに来てくれるお客様にも蝶ネクタイじゃなきゃ」とはじめたら好評で、ずっと続けている。
浪花家総本店 会長 神戸守一氏。トレードマークのコック帽と蝶ネクタイは、以前に大手ホテルの催事に出店したときからのもの。「ホテルのお客様には蝶ネクタイじゃなきゃ失礼だというなら、うちに来てくれるお客様にも蝶ネクタイじゃなきゃ」とはじめたら好評で、ずっと続けている。
浪花家の3代目、会長の神戸守一氏によると、「たいやきっていうのは、皮が薄くてアンコがたっぷり入っているものなんです。最近はアンコをカステラに包んだ今川焼きのようなたいやきのほうが多くなってますからね、うちのたいやきをはじめて食べたお客さんは、『オヤジ、このたいやきは皮が薄くてなんか違うぞ』なんていうんだから困ります」。

元来、たいやきはアンコを食べるためのもの。皮は薄くておせんべいのようにカリッとしている。ふっくらとした皮のたいやきが出てきたのは、原料の高いアンコの量を少しでも減らそうとした結果だろうと思われる。

浪花家のアンコは、甘さを控えめなので、素材そのままの風味がする。北海道の十勝平野でとれる北海小豆を、毎日夕方から8時間かけて大釜で煮る。最近はミキサーを使用する店もあるが、浪花家では手作り。「えんま」と呼ばれる1メートルもある木のへらで練り上げられたアンはつぶしあんといわれる。つぶしあんとは、煮る過程で自然につぶれたあんのこと。つぶしすぎるとこしあんになってしまうので、よく練り上げながらも皮をつぶしすぎない、この呼吸が難しいという。

第二の創業は、高円寺駅前の闇市から

神戸守一氏は、今年86歳になる。現在は、長男の将守氏に4代目を引継ぎ、肩書きは会長となっている。「うちはみんな10コ、20コと注文する人が多いでしょ。時々ひとつだけ、って人がいると、『うちは切り身刺身は売らないよ!』と声をかけるんです。そうすると、居づらかった雰囲気が和むかと思って。ひとつ買ってくれる人も大事なお客様ですからね」といまも店頭に立っている。

11時の開店前から、1本焼きの金型がカランコロンとリズミカルに音を立てている。たいやきを焼いている若い男性達は、いずれは地元に帰り独立開業されることになる。<br />たいやき屋は小資本で開業できるので、志願してくる人は多い。「定年になったので、老後にたいやき屋でもやろうかと」と来る人もいるが、たいやき屋をなめてもらっちゃ困る」と守一氏。
11時の開店前から、1本焼きの金型がカランコロンとリズミカルに音を立てている。たいやきを焼いている若い男性達は、いずれは地元に帰り独立開業されることになる。
たいやき屋は小資本で開業できるので、志願してくる人は多い。「定年になったので、老後にたいやき屋でもやろうかと」と来る人もいるが、たいやき屋をなめてもらっちゃ困る」と守一氏。
浪花家は明治42年、1909年の創業だが、順風満帆にここまで来たわけではない。そもそも浪花家という屋号は、神戸家が大阪出身であることに由来している。初代神戸清二郎氏は、大阪で貿易会社を営んでいたが、事業に行き詰まり東京に出てきた。今川焼きをもっとおめでたい形に、とたいの形にすることを思いついたのが、たいやきのはじまりとなった。

守一氏は16歳のときから、二代目(守一氏の父)に就いてたいやきを焼き始めた。当時は、日本橋の室町3丁目で商売をしていた。昭和12年頃には、全国に150店舗のフランチャイズを展開する勢いだったという。
しかし、その後戦争がはじまり、店は閉店せざるを得ない状況に追い込まれた。戦争から戻ってきた守一氏が、焼け跡から型を探し出し、高円寺駅前の闇市ではじめたのが、浪花家の第二の創業ともいえる。

敗戦不景気で、みんなが今日の夕飯も心配な時世だった。こんな時こそ庶民の味、たいやきは喜ばれるんじゃないかと物々交換で始めたたいやき屋だった。これがあたり、その後生まれ故郷の麹町に地下1階、地上2階のビルを建てるまでになった。
だが、麹町では失敗することになる。高円寺と麹町では住民のタイプが違ったのだ。

また最初からやり直し、麻布十番で店を出すようになったのは50年以上前のこと。十番商店街にあったウナギ屋さんに場所を借りることができて、店を出した。その後、現在の場所を買ってくれないか、という話があり今に至る。

2005年はカフェ業態へ進出

2005年に、すぐ近くにカフェをオープン、たいやき屋も改装した。常連客には、「この雰囲気が好きなんだから、改装するならもう来ねぇよ」という人もいたが、50年以上経過した木造家屋は使いづらく、改装せざるを得ない状況だった。ただし、改装後も1階は昔ながらの雰囲気を残した。使用しているテーブルは開店当時からのもので、今買うと500万円もするという屋久杉である。

薄い皮は、メリケン粉を冷やし溶いて、ベーキングパウダーをほんの少しいれて作る。薄いきつね色の皮からは、アンコが透けて見える。
薄い皮は、メリケン粉を冷やし溶いて、ベーキングパウダーをほんの少しいれて作る。薄いきつね色の皮からは、アンコが透けて見える。
「『およげ!たいやきくん』のヒットで、海外でも有名になったので、お店のレトロな雰囲気は外国人の方にもうけてます」と守一会長はいう。

たいやき屋とカフェは歩いて1分もかからぬ距離にあるが、住所でいうと、麻布十番と元麻布となり、客層も少々異なる。守一氏の長男、4代目の神部将守氏は、「吉野家さんじゃないですが、たいやき1本ではたいやきがダメになるとお店ごとダメになってしまいます。リスクが高いので、カフェ進出でメニューを増やしました」という。

守一氏は、「わたしは企業家ではないですね。職人です。経済は追わずに、味を追究しています。値段が高くてうまいのは当たり前。安くておいしいのがいいに決まってる。一竿3千円もするとらやの羊羹を自分のために買う人がいますか。ひとつ150円のたいやきなら気軽に買えます。安くておいしいものを売っていれば、お客さんは自然と増えます」。

「並ばなくてもひとつ、二つならすぐに食べてもらえるようにと、店では席を用意しています。ここでは、お茶もメニューのひとつです。うちは茶葉の種類によって、お湯の温度や急須を変え、茶葉の生産元も驚かれるほどの美味しいお茶を出していますが、なかには『お茶代をとるのかよ、けちだなぁ』という人もいます。
昔は誰かの家でお茶を出してもらうと、『これ、お茶代にとっといて』とお金をおいていく人がいたものですが、裕福になって無粋な人が増えたように思います」と守一氏はいう。

麻布十番商店街といえば、六本木ヒルズへの通り道として数年前から人通りが増えているが、その影響を聞いた。「うちには、観光のお客様は関係ないですねぇ。団体で来るときにはあんまりお金をもってこないし、うちは待たないと買えないから、集合時間に間に合わないでしょ。地元のお客さんが自分のために買ってくれる、『これ、おいしいよ』と友達にもっていってくれる、そういう風に地元に愛されることが大事だと思ってるんです」

※記事は作成日時点のデータですので、あらかじめご了承ください。

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